2009-06-30
マイケルジャクソンの訃報があった。これには僕も結構驚きだった。ビートルズのジョンとジョージが亡くなった時くらいのインパクトはあった。
晩年のマイケルは正直ちょっとイメージダウンの感は否めなかったが、僕が若い頃はマイケルと言えばとにかく「カッコイイ」というイメージだった。
僕が東京に来る前には「ロックウィズユー」という曲などがヒットして、ソロになったマイケルがジャクソン5のイメージを脱却して、格好良くなってヒットシーンに飛び出てきた感があった。
ちょっと洒落た若者が聞く音楽くらいの感はあった。
田原俊彦が当時のマイケルの踊りに感化されてた、というのも結構有名な話だった。
僕が東京に出てくると、洋楽シーンはダンスミュージックが全盛で、昔で言うディスコでは、洋楽のヒットを流せば、それがそのままディスコミュージックとして、もてはやされていた。
ホール&オーツ、アースウインド&ファイヤー、ヒューイルイス&ザニュース等々、トリには必ずボーイズタウンギャングの「君の瞳に恋してる」なんかがかかったりして大いに盛り上がっていた。
我が道を行くといったイメージのあったビジュアル系の祖とも言えるあのデビッドボーイでさえ「レッツダンス」というダンス曲をヒットシーンに送り込み、「時代に迎合した」みたいに言われたりしたこともあった。
そんな中、マイケルが満を持したようにヒットを立て続けに連発。
「ビリージーン」「ビートイット」そして「スリラー」等々。
まさに洋楽界を席巻した感があった。
若者はこぞってマイケルの踊りを真似しようとした。全然ダンスキャラじゃ無い若者までもがムーンウォークしようとしたりした。結局ほとんど真似できなかったが。
それから特にやはり言い古されたことではあるが、マイケルのプロモーションビデオの威力は凄かった。
当時全く録画機材が無かった僕は、ベストヒットUSAなどの番組で流れるマイケルの映像が録画できなかったことが大変悔しかった記憶がある。
マイケルのビデオでは、楽曲の良さやダンスなどの素晴らしさは勿論のこと、特に「スリラー」では、あのゾンビがマイケルと一緒に踊り出す、というあの発想、あの感性、あれがかなり僕らに刺激を与えてくれたような気も、今になるとする。
さすがに最近ではマイケルの動向を気にかけたりはしなくなってしまっていたが、曲は今でも折に触れて聴いていた。
例えばポールマッカートニーとのコラボ「セイセイセイ」「ガールイズマイン」など。
それから、あまり名前は挙がらないが「スリラー」のアルバムのトップを飾る「Wanna Be Startin' Somethin'」。これは景気づけに結構いける。僕は個人的には一番好きな曲だ。
マイケルジャクソンは、僕にとっては、まさに80年代のほろ苦いような切ないような学生時代の頃を象徴するアーチストだったな、と思う。
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